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2004年12月12日(日) いろいろ滞ってます。いろいろ。滞っているもののために前に進めなくなるのはいやだなあ。クリアーしないで進んでもいいことがたくさんあるような気がする。 最近バイトの昼休み、新宿のタワレコに行ってはフィッシュマンズを買っています。きのう行ったら遠藤ミチロウさんのインストアライブをやっていた。2ndの「キングマスタージョージ」を購入。今日は1stの「チャッピードントクライ」を買いました。なんでこんなに自分にご褒美してるんだろ?「頼りない天使」という曲が、ほんとにいいです。
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2004年12月25日(土) まっしろい紙に、はじめから何も書いていないのと、なにか書いた後に思い直して白く塗り直してしまうのとはやっぱり違う。 もったいないような気もするけど、白く塗ってもやっぱりでこぼこしていたり、白いなりの味があったりする。 だからとりあえずなにか書いてみるのがいい。 最近ライブで歌詞以外の言葉をそのときの気持ちにまかせて自由に声に出していたんだけど、そうするとうたそのものの力がへっているような気がしてきた。 自由に言葉を発することで、自分の表現はすこし前へ進んだとおもっている。 でもそれをやめてしまっても、後戻りするわけじゃなくて、また違う白い絵になるんじゃないかなーと思う。 ツアー中、新しい曲を演奏することがなかったので、新しい気持ちはそのときあるうたに無理やりつめこんでなんとかしていた。それでどんどん新しい方向へ向かっていたと思うけど、そろそろまとめて形にしよう。
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2004年12月26日(日) 22日、藪こぎに来てくれたみなさん。ほんとにありがとう。 いつもはっとするのは自分の怠惰。 一生懸命とありがとうは似ている。 感謝することをわすれているとき、それに気付いたとき、ぼくが一番はっとするとき。 一年おきに振り返るのなんてうんざりするくらい自分がやったことはちっぽけだけど、振り返ってありがとうと言わなければいけない人たちはたくさんいるのだ。 来年はもっともっとたくさんの人にありがとうと言えるようにがんばりたい。 そして一番ちかくにいる人たちともっとたくさん話をしたい。 の〜んでの〜んでのんでぇ〜ファイヤー! のCMで星野さんが「一生懸命の失敗はかならず取り返せる」みたいなことを言っています。ぼくは一生懸命やれればほんとはそれでいいと思ってる。というより一生懸命やって失敗するはずがないと思う。一生懸命やったのにそれでも失敗したら、それはもっと一生懸命やれるんだと思う。のんきと思われるかもしれないけど水が出てくるまで掘っていけばいいんです。 来年は井戸堀ります。いまのところそのための便利な道具はほとんどありませんがバンドのメンバー3人の気持ちは決まっているので、素手でも掘ります。掘ってるうちは希望がある。 それにつけても我が身の怠惰。 一生懸命とありがとう。
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2004年12月27日(月) 近年、年賀状を出しそびれる年が続いていましたが今年はたくさん書いています。 もうすでに結構遅いですけど・・・ 書き出すと、あの人も、この人も、あのライブハウスも、このライブハウスも、となってしまって歯止めが利かないくらい、いろいろな人たちにお世話になった一年でした。 振り返ってわが不義理。 年賀状で書く文句というのは、今年もよろしく、とかが普通だと思うんだけど、なんだかぴったりこないかんじがして。 「ありがとう」って書きたいんだけど、ありがとうってなんだか年賀状のなかだとちょっとへんなふうに見えてしまう。 なんだか「ありがとう」って最後のことばみたいです。 だから2004年はありがとう、2005年もありがとう。 ドリトル先生をシリーズ読破するつもりでいたけど 「ドリトル先生 秘密の湖」からなんだか退屈になってしまって、ぱたっと読むのをやめた。まえだったら、意地でも最後まで読んだと思うけど、この身のこなしの軽さが2004年版平井正也だっただろうか? また読みたくなったら読む。 もう終わってしまったと思っていたものでも、またいつ始まるか分からない。 生きているうちは。 もうなくしてしまったと思っていたものでも、またいつ見つかるか分からない。 生きているうちは。 もう忘れてしまったと思っていたことでも、またいつ思い出すか分からない。 生きているうちは。 なんだか日本語の文法の例文みたいですけど。 楽しくやりつづけるために、いったんやめたっていいんだよね。
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2004年12月29日(水) 晩御飯はおでん。 いままでずっと賞味期限切れのほんだしをつかっていました。あんまり気にせずつかっていましたが、あたらしいだしは味もかおりもぜんぜん違った。 いれるだけでなんとなくだしが利いてる気持ちになっていただけだったのかも。 習慣というのは恐ろしいです。 みなさんがつかっているだしも疑ってみたほうがいいかもしれません。 だしがかおるときっといいきもちで新年を迎えられると思います。 ご飯を食べていつもはだらっとテレビを眺めているのですが、 今日は彼女がもってきた水木しげるが出ている誰でもピカソの録画を観た。 彼女は水木さんのルールにほとんどあてはまっています。 (好きなことだけやりなさい、とか) ねむくなったらねる、食いたいもんは食えるだけ食うという水木さんの生活が紹介されていました。 その暮らしぶりはごろごろしていてもだらだらはしていない。 でもこれまでの水木さんの仕事をみれば80歳を過ぎるまでずっとごろごろしていたわけではない事はまちがいない。がんばっているところなんかひとには見せないというのも水木さんのルールなのかもしれません。 そのあと昨日タイニーカフェで借りてきたフィッシュマンズのライブビデオを観ながら年賀状を書き終えた。いままでで一番たくさん書いたかもしれない。ツアーでお世話になったライブハウスにもたくさん書きました。 テレビをつけないと夜が長くていい。 彼女と正月休の遊び計画を立てました。
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2004年12月31日(金) 昼ご飯たべてからちょっと掃除でもしてみるかな、という気になり小掃除。 本気でやりだすと一日じゃ無理そうなので、そこそこきれいになるようにこころがける。だけど結局熱くなってしまって、換気扇をぴかぴかにして、ガス台を動かして磨いたり、油の飛び散った窓をふいたり、台所はかなり美しくなりました。勢いづいて風呂場、トイレもやる。 そのあいだずっと降りつづける雪。雪の大晦日なんて、都心では昭和58年以来らしい。新潟でそだって雪なんかめずらしくもないだろうに、どうしてもわくわくしてしまう。バイクカバーをかけに外へ出たら、まだ誰の足跡もついていないすがすがしい雪景色だった。自動的に雪合戦がはじまる。 外の雪があんまりきれいだったから、まけじと掃除に熱くなってしまったんだろう。 お茶を飲んで、今夜と正月の食料買出しへ。ぎゅっぎゅっと雪を踏みながら、彼女が片栗粉を踏んでるみたいだといっていた。 途中、近くにできた古着屋さんで、店のお兄さんと釣りの話。とても気に入っている店で、お兄さんも好きです。いつもなにも買わない。いいものが多いだけになかなか買えない。今日もひやかしのつもりが、雪の勢いで2人してニット帽を買ってしまいました。 平井家のお雑煮の材料を買い込む。ポイントはたっぷりの豆もやし。ちゃんとだしをとるべく、こぶとかつおの荒削りも買いました。他にあずき、日本酒、みかん、しめさば、刺身用いか、年越しそばなどを購入。 紅白を観ながら日本酒で乾杯。彼女が実家からもって来てくれた松前づけ。新潟の松前づけはちっちゃなたくあんみたいなのが必ずはいってたけど、なかった。正月料理でいろいろ地方色がみれておもしろい。 年越しそばは、まず家にあった棒状の乾燥したそばをざるで食べて、それから買ってきたそばをかけで食べた。うまかった。 紅白は氣志團くらいしか印象に残らなかった。裏番組観ながらぱちぱちやってたので、マツケンサンバを見逃した、残念! 二年参りに近くの神社へ。静かな夜の雪道をあるきながら、新年を迎えた。遠くで除夜の鐘が聞こえた。いつもそわそわしながら迎える新年を、迷いなく迎えられた気がする。おみくじは一度も大吉をひいたことがない。やっぱりひけなかった。なんだったかもうわすれてしまった。おみくじがなんだったって、がんばってがんばれないことはない。だったらひかなきゃいいのに、ひくこと自体がどきどきして楽しいんだ。 年がかわってもなんにもかわらないが、ぼくのなかでは年を越すすこしまえからなにかかわりました。
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