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2005年5月9日(月) おれ決めた

きのう天気がよくて、バイトをしている25階の窓から富士山がとてもよく見えた。
おまけにてっぺんに傘みたいなかたちの雲が出ていて、なにか幸運のきざしのように、勝手に思った。そして、バイトをやめようと決心しました。
そして今日上司に相談して来月で退職することに。もう今は頭にあれこれ、どうやって生きていくか、おもしろいアイデアが浮かんできてたいへんです。なにもかも今からはじめたい気持ちです。

とくに仕事がつらくてやめるわけではありません。楽で、いつまでもバンドをしたり絵を描きながら続けていけそうな仕事です。だからやめます。
ふと、いつ死ぬかわからないなーと思うと、いますぐいろんなことをしなければいけない気持ちになります。時間を売りに行くような仕事に向かう電車でぼくの人生が終わってしまうのなら、ほんとにいまこの瞬間から、自分を生かさなければ。

引っ越しの整理をしていたら、むかしカフェオレーベルで発行した「Cafe Au Reclam文庫Vol.1」というフリーペーパーがでてきた。
そのなかの原さんが書いた「カレー屋」というタイトルがついた随筆を引用します。


 私が、大学卒業後、バイト生活をやめて、今のような生活をはじめてから6年が経つ。その年、1995年は年明けから阪神大震災があり、オウム事件があった。その4月に私はバイトを辞めて、しばらく家で何もしないことに決めた。特別金銭的な蓄えがあった訳ではなかったし、先のことはこれといって何の計画もなかった訳だが、不思議と不安は感じなかった。ゆっくり自分の人生について考えてみよう・・・とか思っていたのだが、実際に無職生活を始めてみると、そんなこと考える暇がないことに気がついた。自宅録音機材をローンで買い込み、とにかく曲を作り始めていた。それは作っていたというより、生まれて来たという感じだった。人生を考えている暇などないのだ。それらの曲は、それまで作っていた曲とは、かなり趣の異なるものだった。バイトして疲れてストレスを溜め込んで、その発散として作っていたのがそれまでの曲だとしたら、新しい曲たちはカレー屋さんが心を込めてつくるカレーのようなものなんじゃなかろうかと感じた。それらの曲は、自分にとって美しい商品だった。私は、仕事を辞めたんじゃなく、仕事を始めたんだと思った。(以下略)


その同じフリーペーパーに実はぼくも寄稿していて、「三度の飯より」というタイトルがついている。大学を卒業してすぐ、カフェオレーベルからファーストアルバム「雛菊とみつばち」を出したばかりの頃の、ぼくの文章を載せてみます。


 僕にはどうしてもこの世の中がそんなに悪い処には思えないのです。
この世の中が僕の幸せを奪ってしまうような、僕のしたいことをどうしてもさせてくれないような悪者には、どうしても思われないのです。
自分じゃないような仕事をしながら休憩室で煙草を一服。
「好きなことだけして生きていけたらなあ。」
けれども、したいことをしたいようにさせてくれないのは世の中じゃない。
ほんとうは僕なのです。
だってぞっとするじゃありませんか、したいことしかできないなんて。
一日中、一年中、自分であり続けるなんてほうんとうはすごく不自由なことなんじゃないのかな。何にも邪魔がない生活には、ひとことの云い訳も許されない。ただ僕には、その覚悟がないだけなんだ。させないのは世の中じゃない、親父じゃない、先生でも上司でもない。
ごめんなさい、僕なんです。(以下略)


この頃、こんなことを書いていたのに、なぜだかそれから4年もバイト生活を続けていました。変わったことは、すこし絵の方で原稿料をもらうようになったくらいで、やめてからどうするか、あてができたわけではありません。でも、どうにかなるかならないか、やめてみないとわからないし、どうにかなるからやめるっていうのも不思議と変に思えてきました。

お金が溜まってくると、どうもあたまというのは働かなくなってくるみたいです。自慢するほどたくわえができてたわけじゃありませんが、バイトとイラストでだんだん余裕ができてきて、そのぶん時間はどんどんなくなっていきました。ぎりぎり生活できるくらいまでバイトを減らせばいいんですけど、いちどゆとりを経験するとなかなかぎりぎりには戻せなくなるものです。
そんなゆとりも引っ越ししてなくなってしまいましたが、もう時間がない分お金を使う生活はやめにして、お金がない分時間と知恵をたっぷり使う生活にすることにします。

いま最高の気分です。
どうやっていこうか?お金のかからないことならなんだってできます。





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2005年5月9日(月) じぐも

新しい家にはじぐもが住んでいる。玄関のすぐ脇に巣をつくっている。
じぐもはまるで細い木の幹のような巣をつくって、その上をのんきに通りかかる虫を捕まえて食べているのです。小さい頃よく巣ごと引っぱりだして、水槽に立てた割りばしに巣をつくらせたりして遊んでいました。

「こうして巣をつっつくと、虫だと思って上にあがってくるから、そこで袋の下をおさえて逃げられないようにして捕まえるんだよ」って実演していたら、袋のむこうからものすごい勢いでぷすっとやられて、「痛ってー!!」そういえばじぐもは袋のなかから捕まえた虫を毒で動けなくして引きずり込むんだった・・・!!あまりのリアクションに彼女は笑っていました。指先にちくちく感じながら小さい頃の気持ちがよみがえってきて、さされて思い出すなんてまぬけだなーってぼくもつられて笑っていました。

自転車を二人乗りしていたら、変なおじさんに「あー、いいんだー!」って言われました。

タイニーカフェに行ってバイトをやめたこととか話してきました。



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2005年5月10日(火) 包丁を研ぐ

買ってから一度も研いでいなかった包丁。そろそろ切れなくなっているので、今日は包丁を研ぐ日にしました。

刃をむこうに向けて10回研ぐ。刃をこっちに向けて10回研ぐ。
爪を切るとき、考え事がはかどるという人もいますが、包丁研ぎはその比じゃありません。ぼくは遠く未来のことまで思いを馳せました。
試しに牛蒡のささがきをやってみましたが、かえって切れなくなったので、本腰を入れて研ぎ始めました。
友部さんの2枚組み「はじめぼくはひとりだった」をほとんど聴き終えてしまうほどの時間、ぼくは研ぎに集中し、ひとつのかんがえを実行することに決めました。
こんどはにんじんを千切りにしてみたら包丁は素敵な切れ味になっていました。おかげできんぴらごぼうの準備がすっかり整ってしまいました。

昼頃、一瞬大雨が降ったので、夕方はとても透明でした。こんな夕方に一度ちかくの銭湯に行きたいと前から思っていたので、今日彼女をつれて行ってきました。着くとまだ開いていなかったので、図書館へ手作り家具の本を借りにいってもどってくると、もう3、4人の常連さんが入っていました。
その銭湯は八百屋や魚屋が軒を連ねる商店街の中にあって、古そうだけど、時間が止まったような雰囲気でもなく、きちんと毎日手入れされているようなさっぱりした風呂でした。石鹸もシャンプーもなかったので軽く体を流してから熱すぎるくらい熱いお湯につかっては出て、つかっては出てしていました。いい具合に汗が吹き出して、少々のぼせたようでした。

7時にあがる約束だったけど、すこし早くあがってどこかでビールを買って来て彼女が出てくるのを待っていようと思った。
酒屋がなかったので自動販売機でビールを買って来て、風呂屋のベンチに座って、新月の細い月を見ながら、彼女になんて話そうか考えていた。
向かいの八百屋のラジオが野球中継をしていた。7時の時報が鳴って、こんなに1分が長かったことって最近あっただろうか?
彼女が出てきて、ぼくはかんがえを伝えた。しばらくベンチに座って話して、そしてきんぴらはまたこんどにして、二人で飲みに行くことにした。



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2005年5月11日(水) 金魚を買いにいく

いつにしようかと考えているときはまだそのときではなく、そのときがきたらなんの理由もなくたってそうなっている。さがせばそれなりの理由が見つかるかもしれないけど、それはただのロマンチシズムかもしれない。

ずっと飼いたかった金魚を買いにいった。お墓もつくれないような住宅環境では、飼いたくても飼えなかったという理由がいままでなかったでもないが、ちいさな庭と縁側がある家に住むいま、近所の金魚屋さんがふと、とても美しく見えたのだ。
毎日金魚に餌をやるという日課は、ささやかなしあわせの象徴のような気もするし、ぼくは小さなころから魚を眺めていたらいくらでもうっとりできた。
中学にあがってからは熱帯魚を飼ったりしたが、どうも熱帯魚と金魚の楽しみは根本が違うようだった。金魚は泳ぐ軌道が美しい。それにくらべれば熱帯魚はリモコンで動いているように見えるほど、金魚の泳ぎは予測がつかない。あきない。

しかし金魚屋のおじさんが言うには、水槽に水を入れて2、3日は魚を入れてはいけないらしい。水ができあがらないと餌をやってもすぐ濁ってしまって、魚が死んでしまうらしいのだ。いいバクテリアのいる水にしなくてはならない。そして水替えは週に1回くらい。3分の1くらいずつ替えるらしい。

ぼくの知っている飼い方と随分違う。当時は水替えといったら全部とっかえていたし、3ヶ月くらいほっておくときもあったと思う。それでも金魚は元気だった。やっぱり新潟は水道水からして魚向きだったのだろうか?おじさんが言うには水道水と言っても入っている薬品の量は日によっても違うらしいので、水作りは大変らしい。

それでいま部屋には魚が一匹も入っていない水槽で、濾過機だけがうごいているのですが、それだけでもとても気持ちが安らぎます。この水槽で金魚がどんな軌道描いてくれるのだろうか。一瞬だっておなじ泳ぎ方はしないのだ。素敵だ。

風水によれば、金魚は玄関にちかい南西の方角に置くといいらしい。置いたところは玄関に近い南西の方角になっていました。



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2005年5月17日(火) 金魚を買いにいく 2

水槽を買ってから、あれやこれや金魚を買いにいくヒマがなくてたっぷり一週間ちかくかけていい水が出来上がりました。
朝は東から、昼は南から、夕は西からひっきりなしに日が差す家。きのうは引っ越しパーティーで、飲みすぎて風呂も入らず、服も着替えず寝てしまったので、東に位置する風呂にはいったら気持ちよかったんだろうけど、布団から出たのは12時。牛乳で作ったカルボナーラ食べて、バイトに行く前に金魚屋へ行きました。
欲しかった和金はなぜか異常に元気がなく、みんな底にじっとしてたり水面に浮かんでいたりしてたので今日は他のを買うことに。

おでこに朱色のまるい模様がある「丹頂」。
尾ひれが長くて彗星のような「コメット」。
お腹がはって泳ぐのが大変そうな「流金」。
流金が斑模様になった「キャリコ」。

名前付けようと思っていたのに、一匹ずつなのでいまはそのまま呼んでいます。
バイトから帰ってゆっくり眺めると、すぐに流金が番長になっていることがわかりました。サブリーダーがコメット。その次がキャリコ。かわいい丹頂はいじめられっこに・・・!とにかく流金はみんなのおしりを突っついたり、ひれを食おうとしたりしてます。凶暴。
眺めてるとたまらなくなり、1日は餌をやらないように言われてたのにあげてしまいました。だって底におちてるうんことかパクパクしてるからお腹すいたんだと思って。
すると、真っ先に餌に気づいたのはなんと丹頂。餌が沈んでくる前に水面の餌を食べだしました。他のやつらもだんだんと気づいているのに、流金は相変わらず底のうんこを食べていました。けっこういい奴かも。
金魚にセリフをつけたりしてたのしい金魚ライフがスタートしました。
「おれ、まだうんこしか食ってねーよ!」とか。



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2005年5月18日(水) きょうは家から出なかった

「Dr.ハポンのいったこと」6月号の締め切りで、今日はずっと家の中。
相変わらず締め切り前は掃除がはかどります。今回は「Dr.ハポンのストレス研究」というお話。といってもまだこのHPでDr.ハポンは未公開なのではやく読めるようにしますね。

「やもさん」の第2版の準備がととのってきました。きのう、かわさき市民活動センターというところで、無料の紙折り機を借りてがががががっと一気に折ってきました。すごいマシーンです。第2版は6月頃からライブ会場やこのHPで手に入るようになると思います。

いままでおんぼろパソコンでプリンターから出力ということもできなかったのですが、我が家にぴかぴかのノートパソコンとプリンターがやってきたので、いままで手付かずにしていた、マーガレットズロースの歌詞のデータをきちんと整理することにしました。
ファーストアルバムから歌詞カードをみながら入力していくと、時代を追うごとに漢字の使い方が変わってきているのがわかっておもしろい。
最近うたっていない歌詞を書き写していると、これからバイトをやめようとしているのに、もうずっと前からバイトをやめようとしている歌ばかりだった。
こんどのジェリージェフのライブでは、ひさしぶりにうたう歌も多いかもしれません。「パイロット」とか「君をください」とか久しぶりに聴いていいなーと思った。



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2005年5月21日(土) いつまでもなくならないとは限らないものだから

とても暑い日でした。
熱いくらい暑かった。
午前中は多摩川で釣り。ぼくと有美子とこのホームページの掲示板で活躍中のAKIRAさんとペニーさんの4人で行ってきました。行ってきましたといっても今の家から川まではあるいて10分くらい。新潟からこっちへ来ていろんな部屋に住んだけど、ちかくに水のないところには一度も住んだことがない。
こどものころから水はぼくのいちばんのおもちゃだった気がする。

竿をずらっとならべて凧揚げなんかしながらのんきにあたりを待つ。お客様をさしおいてぼくだけ2匹釣ってしまいました。いままでも多摩川で鯉を釣ったことはあったけど、一本の針で釣ったのは初めてでした。

よく鯉釣りでは吸い込みという針が何本もついている仕掛けが使われます。これは一度かかった獲物をけっして逃さないための「漁」としての道具ともいえるもので、岸辺までたどり着く頃にはからだに針がささって動きを封じられてしまうのです。網ですくったとき、針が網にひっかかって魚を放すのにも時間がかかってしまいます。
たべるために鯉を釣るわけではななく、かっこいい姿をみせてほしいわけなので、一本針で釣りたいと思っていたのです。まるで鯉と綱引きしているような感触でした。こんなにひろい川で一本の針にささったコーンをかぎつけて、食べようと思ってくれる。これは、すごいことです。リールを巻いている時はあたまのなかでは「わっしょいわっしょい」です。
釣っておいておかしな話ですが、放すときの気持ちは「ありがとう」です。

昼はうちにあがってもらってそばを食べました。めんつゆを大根おろしで割るのです。とても辛くて、さわやかな味です。ペニーさんのコレクションのなかから、友部さんとエンケンの「ひとりぼっちのふたり」というライブのビデオを観てとりとめもない話をしました。
もっとなにも覚えていないほど素敵な、とりとめもない話。そんな話を何年かたってから、ふと思い出すことだってある。あんまりにも日差しが強かったのであたまがぼーっとして、夢みたいな感じでした。

夜はジェリージェフでライブ。ライブのまえってこんなに優雅なもんなんだねってペニーさんにいわれてしまいました。ひとつひとつのライブは特別なものだけど、ライブをするということ自体はあまり特別なことにはしたくないのです。みんなあたりまえに電車に乗って仕事に行くように、あたりまえに友達に会いに行くように、そのおなじ電車にぼくはギターをもって乗り込んでライブをしにいく。

この日のライブはとても素敵でした。
はじめ岡野とふたりで演奏するつもりでしたが、結局いつもの3人が集まりました。こうして集まってみると、バンドなんだな、と感じてしまう。

はじめに嶋田陽平君がうたいました。なぜかぼくと同じ年の音楽をしている人が周りにあまりいないので、おなじ77年生まれの嶋田君のうたうひとことひとことや、しぐさや、目の輝きに自分とかさねて見てしまうところがありました。似ているとかそういうことではなくて、「そしてどうするか」のそしてのところまでおなじ感覚を共有しているものをみる奇妙さのようなものを感じました。
嶋田君は高田渡のことを話していました。すきなものをどう自分のフィルターを通して伝えられるか、というようなことをいっていました。
ぼくはライブをみていて、高田渡についてのひとつの詩がうかびました。

マーガレットズロースは「風鈴と西瓜」からはじめて、昼間やけどしたように熱くなった肌をすこしひんやりさせようと思いました。あまり時間の決まりもなく、事前に曲を決めないですむライブはいいです。一曲うたって声がうまくでないので、なんならでるかなと思って2曲目は「ネオンホール」にしました。そんなふうに最後まで出来上がっていきました。
アコースティックライブだし、普段あまり演奏しない曲をやろうとも思ったのですが、結局リハーサルでうたった「君をください」や「パイロット」はうたいませんでした。なんとなくそのときそういう気持ちにならなかったから。
めずらしいということが価値をもつライブは、ほんとうにいいものではない気もします。だけど、めずらしいだけでなくすばらしいライブもあるかもしれません。自分でもまだ知らないその曲の良さを知ることがあるかもしれない。
高田渡は何百回とうったってきた「生活の柄」などの有名な曲を、いつもその日初めて聴く人のためにうったったと聴きました。
そんなことを考えながら「部屋でうたっている気持ち」をうたって、それから「自転車に乗って」のカバーをやりました。聴いた人はどう思ったかわからないけど、ぼくはこれをうたっているときの自分の声は不思議な声に聴こえます。
最後は弦が二本切れてしまったけど、そのまま「あたらしい絵」と「平凡万歳!」をやりました。ドラムでなくてカホンだったけど、粕谷は特別アレンジをかえようというふうでもなく、長い曲を途中で切り上げようともせず、最後まで叩いたのでかっこよくおもった。ギターの音はめちゃくちゃで、気持ちのいい演奏ではなかったと思うけどいい演奏だった。こんなふうになると自分はちっともかわっていないなとおもう。そしてじいさんになってもきっと平気で変な音を出す気がする。
こころから音がふきだした。

終演後、すこしみんなと話して早稲田から高田馬場まで歩いた。
ライブ前に食べた「いもや」の天丼。おいしかった。学生の頃よく食べていた。
550円の天丼。無愛想なおじいさんとおばあさんが当時のまま黙っててんぷらを揚げている。そういえば私語厳禁だったことをわすれて「おいしいね」ってにぎやかにはなしながら食べてしまったけど、怒られなかったな。
おじいさんとおばあさんはこれからもずっとてんぷらを揚げてくれるだろうか?
これほど変わらないようにみえる営みだってきっといつか終わってしまうときも来るだろう。それがかなしいのではなくて、今日食べた天丼がありがたくて涙がでそうになった。

たまに日記をかくと随分長くなってしまう。かといって書いていない日は特別なことがないというわけでもなく、わけのわからないことがわけのわからないままになっているということだ。今度ずっと準備中の「詩」のコーナーをはじめようと思う。ひとことでも、1日ひとつの詩を書こうと思う。



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2005年5月24日(火) 自転車に乗って

高田渡トリビュートに参加させてもらうことになり
雨の中合羽を着て、ギターを担いで、
バイクに乗って「自転車に乗って」のレコーディングにでかけました。
千歳烏山のGALVAスタジオで20時からだったので、電車では帰れないと覚悟したのです。でも結局レコーディングが終わったときにはまぶしい朝になっていました。

マーガレットズロースの「自転車に乗って」はレゲエアレンジです。高田渡さんのアルバム『ごあいさつ』は半分以上が現代詩に曲をつけたものですが、高田渡自身によるこの歌詞は完全にレゲエだなとおもいます。
なんでもないことが、なんでもなくうたわれていて、でもそのなんでもないはずのことを、もうずいぶん長い間していないような気持ちになります。
今回のレコーディングは大成功でした。こんなに繰り返し聴くのはめずらしいくらいずっと聴いています。実は途中ねむくてどんな風に演奏したか憶えていないのですが、すばらしく力が抜けていて、そしてどこかかなしいです。高田渡さんとはいっしょにライブさせてもらうことができなかったけど、ほんとに自転車に乗って「ちょいとそこまで」でかけているだけのような気がしてしまう。

今回レコーディングを手伝ってくれた松本さんは、カフェオレーベルの原さんとはまた違うタイプの凄腕です。原さんはバンドの内側に入ってきて、体温を上げてくれるような録音で、松本さんは実際その存在を忘れてリラックスしてしまう空気のような録音です。松本さんとアルバムを作って見たいとおもいました。

金魚を眺めながら録音した「自転車に乗って」を聴く。
これが最近の楽しみです。



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2005年5月26日(木) ラムを食す

北海道から越してきた古宮夫妻がラム肉を2キロもって遊びに来てくれた。

古宮大志(ふるみやひろし)はぼくの弟と同じ歳なんだけど、変にしっかりしたようなところや子供っぽいところがあっておもしろい。
見た感じは熊。写真でとるとなぜかかなしそうにみえる熊だ。
彼は北海道にいた頃から、友部さんのファンのお母さんにマーガレットズロースを教えてもらって聴いていたという。
ひろしと連れのレッドはまえに「アシカラズ」というバンドを組んでいたこともあるが、いまはそれぞれ曲をつくって、それぞれうたっている。

ひろしはマーガレットズロースが高田渡トリビュートに参加させてもらう話をしたら、「トンネルの歌」をどうしても自分がやりたいといって、もう勝手に録音までしてしまった。自画自賛して明日MIDIの大蔵さんに会いに行くのだ。
レッドはレッドであまり高田渡は聴いたことがなかったらしいが、友部さんプロデュースの詩の朗読CD「live! no media」に収録されている高田渡の「今日はとてもいい日だ」という詩がすばらしいということで、自分で曲をつけてしまった。レッドも明日一緒にMIDIへいくのだ。
ふたりはおたがいの音楽を尊敬しあっていて、それをとなりでみていてもちっともいやな感じがしないおもしろい夫婦です。ぼくはとても好きです。

ラム肉はとてもやわらかくて、いいかおりで、なまでも食べられるそうです。肉と一緒に「アイヌ葱」というニンニクよりも匂いが強烈だという野菜を焼いて食べます。ほんとうにおいしくて、どんなに食べても飽きなくて、びっくりしました。
ゆかさんにおすそ分けしていただいた蚕豆もゆでて、ビールを飲んで、とてもいい気持ちでたくさん話しました。

結局あしたバイトが終わってからぼくも一緒にMIDIに行くことになりました。



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2005年5月27日(金) スープカレー

1時まででバイトは終り。
ひろしとレッドとMIDIの事務所へ行きました。

恵比寿でこれから行きますという電話を入れると、ほかの来客があるので夕方来てくれとのこと。ぼくらは急にできた時間で映画を観ることにしました。
恵比寿ガーデンプレイスにはじめて行く。「さよならさよならハリウッド」というウディ・アレンの映画。時間までちょうどよかったし、すんなり観れる映画だったのでばっちりでした。

開演前にチラシをみていたら、ヨーロッパ企画の上田君原作「サマータイムマシーンブルース」のチラシがあった。人のことながらとてもうれしい気持ち。
ヨーロッパ企画はカフェオレーベルと縁が深くて、ぼくらも京都でライブの時はいつも上田君の実家のラスク工場に泊めてもらっているのです。ヨーロッパ企画はほんっとにおもしろいです。映画になった「サマータイム」も楽しみ。夏公開です、みなさん観にいきましょう!
ヨーロッパ企画はどんなに有名になってもきっとヨーロッパ企画なところに頭が下がります。

映画が終わってちょうど涼しくなって、あるいてMIDIへ。
大蔵さんにひろしの「トンネルの歌」とレッドの「今日はとても良い日だ」を聴いてもらった。
大蔵さんはじっと聴いていた。
「どうおもいましたか?」とひろし。
「わたしは評論家ではないので一回聴いただけでいいとかわるいとかはいえません。そのうたが後でわたしのなかでどう溜まってくるかは繰り返し聴いてみないとわからない。」と大蔵さん。
ぼくはとなりでどきどき聞いていた。
大蔵さんのことばはぐっとくることばが多いけど、あんまり会社をやっている人のセリフっぽくないところがある。どっちかっていうとバンドマンっぽい。

結果どうなるかわからないけど、すっきりしてどしどし歩いて会社を後にした3人。
気持ちがいいのでこのまま歩いて原宿のスープカレーの店に行くことにした。

ひろしは札幌ではスープカレーの店でバイトしていたのだ。世界でいちばんおいしいたべものだという。札幌でも有名なシャンティーという店へ。でてきたのはほんとうにスープで、食べたとたん汗が吹き出るような辛さ。そこには普段食べているカレーのカレーらしいところが凝縮してつまっていて、ほんとうにおいしかった。
辛くて辛くて随分時間をかけて食べた。やっと食べると、すぐまた食べたくなった。
なるほど「世界でいちばんおいしいたべもの」っていうのもわかる。でもぼくは、毎日たいがいのものはうめーなーっていいながら食べてる。それは全部世界でいちばんおいしいたべもののような気もする。有美子をつれてまた来たいと思った。

たくさん歩いて、たくさん話した一日だった。



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2005年5月28日(土) 松本クラフトフェア

芝生の上で演奏できるっていうただそれだけで、松本まで行きました。
松本クラフトフェア。
広い会場に陶芸や、靴や、家具や、はんこや、招き猫など、様々な職人さんが自分の店を出店していました。あまりゆっくり見てまわれなかったけど、とてもいい雰囲気でした。
こんなふうに、自分はなになに職人なんだって自分で決めて、つくりたいものをつくって、値段を決めてっていうことはとてもあたりまえのことなんだろうけど、自分の看板をしょって生きていくというのは大変なことだ。だれだってみんな自分のなりたいものを自称するべきなのだ。
自称ミュージシャン。自称絵本作家。自称詩人。だれかに許してもらわなくたってなんにでもなれる。自称した瞬間からそのまえとはなにかちがうものになるはずなのだ。祈ったり、願ったり、つもりになったりすることには必ずかなえる力があると思う。
来年はここで平井正也の店をだしたいなーと考えた。なんの店かはわからないけど、「平井正也でないとつくれないもの」屋。
バイトをやめることにして、どうするか考えて、「自分でないとできないことならなんだってやる屋」になろうと決めたのだ。

缶ビールを飲みながら「100万回生きた猫」の朗読、というよりひとりミュージカルのような出し物をみました。とても自然にすーっとはいってきてぽろぽろ涙がでてきた。いつでもなにかに感動したときって自分の大事なもののことを考える。そしてもっと大切にしようと思う。

夕方からろんづ、ネオンボーイズと演奏して、マーガレットズロースがでる頃はもうすっかり日も暮れていた。夜に野外で演奏するのははじめてだ。お客さんの顔がぜんぜん見えない。とても広いところでうたっているのにとてもせまいところでうたっているように錯覚した。なにか抽象的な絵画みたいなライブだった気がする。後半どんどんたのしくなって、ついに最後ギターを空になげてしまった。

1.紅茶の歌
2.たぶん飛行機を見ていた
3.石鹸
4.遊びの王様
5.自転車に乗って
6.あたらしい絵
7.斜陽
8.パンツの歌

ライブが終わってからちいさな男の子がかけよってきて、ハーモニカにサインしてくださいって、まっすぐな目で言われた。プロ野球の選手になったみたいでどきどきしてしまった。小学生の頃は野球に明け暮れて、結局けがをしてどうにもならなかったんだけど、こんなふうに自分はなりたいものになれているんだな、と思った。



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2005年5月29日(日) 蕎麦もおやきも食べなかった

せっかく松本までいったので、ネオンホールでライブをしてきました。
粕谷は早起きして釣りへ。岡野とぼくはのんびり寝てました。
こうして長野でライブをするのが何回目なのか、もう覚えていませんが、ついにぼくらは蕎麦もおやきも食べなかったのです。
もう観光客は卒業したようです。
無差別になんでも素敵に見えていた長野の街や、人。そのなかにもいろいろあることもだんだんわかってきて、そしていまでもやっぱりネオンホールは特別な場所です。
「ざ・ぼんど」で一緒にライブをした岡沢じゅんくんのバンド、「セルボ&ザ・テレキャスターズ」と初対決。
じゅんくんのまわりにはよくわらう人がたくさんいるなーと思いました。ぼくもそのひとりだったりして。

1.自己偏愛家の歌
2.部屋でうたっている気持ち
3.石鹸
4.指輪のうた
5.自転車に乗って
6.檸檬
7.あたらしい絵
8.遊びの王様

おなじ場所でライブを重ねるごとに、そこでなにを求められているのか考えるようになってしまう。いちばん最初はここでなにがしたいか、だけだったのに。
どこかにとどまる、だれかと仲良くなるということは、そういうことなのかも知れないし、その連続が生きるってことなのかもしれない。
はじめてのライブは、はじめての時しかできない。いつも生まれ変わっているつもりだけどね。

そんなことを考えたりして、朝方までナノグラフィカのあやちゃんと、岡野と、青春談議を繰り広げた。



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2005年5月30日(月) 下北沢QUE

きのう、おとといとオーバーオールを履いてライブをしましたが、ふつうのジーンズに履き替えて下北沢へ。なんとなく楽な気持ちでうたいたかったので。
あいにくの雨でしたが、ナノグラフィカの向かいの傘屋さんで買ったデットストックの傘をさせば気分は晴れます。
雨の月曜日だというのに、デリシャスウィートス企画「とびだせ!人間」はとても賑わっていました。

デリシャスウィートスは、60、70年代の音楽やテレビCMやムードみたいなものから出発して、どこへ向かおうとしているのかはわかりませんでしたが、いまそこに集まっている人を楽しませようとしている姿勢はすごいと思いました。
ライブの合間に、海水浴場にみたてた会場を泳いだり、運動会をしたりしていました。
マーガレットズロースもむかし新宿ジャムでやっていた「雛菊とみつばち」というイベントで、毎回詩集をつくったり、弁士をたてて寸劇をしたり、最後にくじ引きでお土産をプレゼントしたりと、いろいろやっていたことがありました。
当時はなぜか大正、昭和といった時代にあこがれていて、同時代のものに拒否反応がでていたのです。
だんだんと、憧れているものに近づくよりも、なりたいものになりたい気持ちがつよくなって、いまみたいなバンドになりました。
「いつかベルボトム履かなくなるんだろうか?」と思っていましたが、案外はやく脱ぎました。
いまではバンド名だけがアナクロのままになってしまったというわけです。
もちろん時代の音楽をしているという感覚はありませんが、自分とは常に一致している自負はあります。

そんなことを思い出したイベントでした。

1.遊びの王様
2.ヤキソバ
3.石鹸
4.べいびー
5.穴
6.自転車に乗って
7.あたらしい絵

久しぶりに双葉双一くんのステージをみました。ますます奇妙でたのしい歌でした。第一声が、「え?ほんとに歌うんですか?」でした。

最近いつも、先日録音した「自転車に乗って」を聴いているのでライブでもやってしまいます。乗っている自転車が浮かんでっちゃいそうな気分で、涙がでそうなのを我慢しました。

かっこわるいと思うことを、かっこよく思うようになることの連続が、マーガレットズロースのいままでのような気がしました。



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Akiary v.0.51